東北アジアの市民交流を進める歴史と教育のマダン

【要点】

  • 京都を四神(玄武、白虎、青龍、朱雀)相応の地といい、この四神が高句麗壁画などに描かれている。本来の四神の地は、モンゴル高原であり、玄武はバイカル湖であろう。
  • バイカル湖沿いのブリャート自治共和国(ロシア)は、北方モンゴロイドの発祥地と考えられており、コリ・ブリャート族などが住む。
  • 太極旗(韓国の国旗)の太極マークは、モンゴル国旗の「ソヨンボ」というマークの中に入っており、日本で「陰陽まがたま・ともえ」という。
  • モンゴル高原を出た集団は、縦横に移動しつつ、種々の文化や民族と結合し、その一派が、コリア民族となり、また、日本を築いたのだろう。
  • 太極マークのように、南北が結合する形の統一が行われるだろう。

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1.四神の地の京都とピョンヤン

131221-2京都は、「四神相応の地」とされ、一般には、東の鴨川が青龍(せいりゅう)、北山が玄武(げんぶ)、西の山陰道が白虎(びゃっこ)、南にあった巨椋(おぐら)池などが朱雀(すざく)とされる(http://www.kyoto-np.co.jp/kp/special/omoshiro/shikake17_01.php)。四神は、奈良の高松塚古墳の壁画と、ピョンヤン周辺の高句麗古墳の壁画に描かれている。京都には、北部に玄武神社があるが、青龍神社などはなく、ピョンヤン城には北端に玄武門があるが青龍門などはない(http://www.minjog21.com/news/quickViewArticleView.html?idxno=5232)。このことから、四神の中でも最も重要なのが玄武である。玄武は、大正天皇即位式の旗には単に亀として描かれたようであるが、古墳の壁画や、玄武神社の絵では、亀(かめ)に蛇(へび)が絡(から)まったものとなっている。高句麗壁画古墳の中には、亀を横から描いたものがあり、ここで亀の頭はとがった形をしている。玄武とは何だろう?

ピョンヤン城
(北端が山、三方が川。最北端の門が玄武門)

一方、朱雀には、鶏(にわとり)として描かれたものもある。鳥居は、鶏の止まり木と考えられているので鶏であろう。亀が黒で湿った状態を表し、鶏が朱色で乾いた状態を表すというのは、理解できる。では、なぜ、鶏が巨椋池なのか?また、京都の南部の城南宮にある池の説明には、乾いた中に湿った状態があるという意味で、朱雀を表すとあった。

ピョンヤン城は、高句麗時代、周囲20kmの都城として建設され、北東へ向かってすぼまる涙形ないし勾玉(まがたま)形をしており、東と南がテドン川に、西がポトン川に囲まれ、北端に山(モランボン)がある。鴨川と桂川と北山に囲まれた京都と似ているともいえる。ではピョンヤンでの白虎は何なのだろうか?四神は、京都、奈良、ピョンヤンのいずれの地理ともぴったりしていない。

2.四神の地はモンゴル

四神について星座を表すなどの説明があるが、私は、同時に、どこかに、本来の四神の地があるのではないかと考えた。そして、あちらこちら地図を眺めたところ、1箇所だけ見つかった。モンゴルである。モンゴルの北方には、バイカル湖があり、セレンゲ川が流れ込み、アンガラ川が流れ出る。バイカル湖の北西の岸に近い箇所に、レナ川の源流がある。バイカル湖を、横から見た亀に見立て、バイカル湖に絡む川を、蛇に見立てたのではないだろうか?バイカル湖周辺は、黒土地帯で湿地帯である。モンゴルの南方には、赤褐色のゴビ砂漠や乾燥草原があり、この中には、オアシス湖が散在している。一群のオアシス湖を鶏の群れに見立てたのが朱雀ではないだろうか?

モンゴルの西方には、北西から南東へとまっすぐに約2000km延びるアルタイ(阿爾泰)山脈があり、高緯度で3000m級の山が連なるので、尾根筋に沿って氷雪が見られるであろう(http://baike.baidu.com/view/22584.htm)。アルタイ山脈の氷雪が白虎なのであろう。アルタイ山脈の南側は、中央アジアへの交易路であり、北側は、西シベリアへの交易路であったのであろう。モンゴルの東方には、黒龍江(アムール川。上流部はヘルレン川)がS字状に延びる。龍とは、本来何であったかというと、おそらくワニであろう。中国長江の支流にワニが住んでいたとされる。当時、長江流域との交流があったのだろう。四神は、いずれも、水の形態を、現存の動物により表したものと考えることができる。

3.太極マークとモンゴル国旗のソヨンボ――陰陽(二つ)勾玉巴

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紅山文化のものとされる勾玉

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5千年以上前の紅山文化の「玉龍」 考古2004年2期 p81

韓国国旗の太極マークは、モンゴル国旗の左部分の「ソヨンボ」というマークの中に入っている。太極マークは、日本で、陰陽勾玉巴(いんよう・まがたま・ともえ)または二つ勾玉巴(ふたつ・まがたま・ともえ)に相当する。赤地に黄色の「ソヨンボ」中では、左右の勾玉(まがたま)が組み合わさった形になっており、各勾玉の輪郭と目が描かれている。勾玉は、日本の獣形勾玉などから見て、初期の胎児の形を表していると思われる(http://www.japanjade-center.jp/powerobject.html)。二つ勾玉巴は、男女(雌雄)の結合、または、卵子と精子の結合を表していると思われる。

以前より、ミトコンドリアDNAの研究から北方モンゴロイドの発祥の地は、バイカル湖の南のブリャート・モンゴル自治共和国(ロシア内)のあたりとされている。また、近年、韓国では、この地域との関連が注目されている(新東亜2001年11月号「シベリアシャーマニズムの源流を求めて」http://www.donga.com/docs/magazine/new_donga/200111/nd2001110580.html; 「シベリア バイカルのブリャート人たち」”http://www.youtube.com/watch?v=4URHFnX6saA)。ブリャート3つの種族のうちの1つがコリ・ブリャートであり、韓国のソッテと同じものもある。ブリャートの北方のヤクートには日本の鳥居に似たものもある(http://drlee.org/etcetra/altai/altai.html)。なお、アリランの歌の「アリラン・スリラン」はバイカル湖近辺に住むエベンキ族の言葉によると「いらっしゃい(迎える)・(霊気を)感じ取る」などの意味である(http://haanel01.tistory.com/entry/「アリラン-スリラン語源と意味」)。

4.紅山文化の龍の勾玉(まがたま)

今から5~6千年前に、中国リャオニン(遼寧)省の西部を中心とした20万平方キロ(韓国の2倍)の地に、紅山文化という、中国の黄河文明(黄河中流文明)や長江文明とは別個の文明があったことが知られている(百度百科「紅山文化」http://baike.baidu.com/view/56987.htm)。紅山文化は、龍の勾玉(玉龍)などの種々の玉器と、陶器の女神像などで知られている(http://hong.xiaobing.blog.163.com/blog/static/28875580201156101739725/)。なお、多量の製銅用の坩堝(るつぼ)も見つかっている。また、紅山文化に先行する今から8千年前の「興隆窪文化」(百度百科http://baike.baidu.com/view/324607.htm)の遺跡が同地域を含む、より広い地域に分布している。C字形の玉器が出土しているが、勾玉の原形かも知れない。

なお、wikipedia日本語版の「勾玉」の項によると、勾玉が日本から大陸に伝わったと断じている。しかし、3千年前から6千年以上前へと伝わるには、タイムマシンが必要である。

緑色のヒスイで作った龍の玉器は、「青龍」を表しているのかも知れない。また、紅山文化の主要遺跡分布地域の南部にあたる、北京の北東(秦皇島の北西)には、青龍満族自治県という地名がある。紅山文化の地は、モンゴルから見て東南であり、「青龍」の地であったかも知れない。海(渤海;バルハイ)から太陽が昇るこの地は、古代朝鮮帝国の初期の領域と思われる。高句麗の金銅装飾品中には、龍が、八咫烏(やたがらす;三足烏)及び朱雀とともに描かれているものがあるが、朝鮮帝国を継承した高句麗でも龍を重視したのかも知れない(http://blog.daum.net/yeodam/7991845)。一方、山東省などには、紅山文化とほぼ同時期の、龍山文化の遺跡がある。

5.秦嶺(チンリン)山脈の朱雀公園区

一方、モンゴルから見て南方にあたる陝西省南部には、「宝鶏」、「朱雀森林公園」などの地名がある。朱雀森林公園は、西安の西南にある(http://baike.baidu.com/view/589571.htm?fromId=111747)。少し西には秦嶺山脈の最高峰(3771m)である太白山(宝鶏太白山)があり、太白山には海抜3000m以上の箇所に天池(太白天池)がある(http://baike.baidu.com/view/2156.htm)。陝西省南部は、いうまでもなく秦の本拠地である。

魏志によると、秦韓(辰韓)は、秦が滅んだとき(BC200年頃)に逃れて来た人々の地域であり、秦の言葉は、馬韓などと同じでないが類似していたとされる。日本の朱色の鳥居は、秦韓の「朱雀」信仰に関連していると考えられる。2010年号でも述べたが、秦韓(後の新羅)は、朝鮮帝国からコリア半島東南の洛東江東岸と九州大分県(宇佐神宮がある)一帯を割譲してもらった上で、本州の縄文人(倭人)を征服して得た地域と考えられる。

新羅の慶州のあたりから見て、日本の本州との交通には、山陰と北陸が便利であったであろう。島根県出雲は、「神在月(かみありづき)」の地であり、近くに大山(だいせん)がある。北陸には白山(はくさん)があり、白山には天池があって、白山の麓には女神を祭る白山比め(しらやまひめ)神社がある(http://www.shirayama.or.jp/index.html)。なお、韓国にも、新羅の本拠地から日本列島へと神が移ったとする「延烏郞-細烏女」の説話がある(http://ko.wikipedia.org/wiki/「延烏郞-細烏女」)。

6.白虎の道―天山とバルハシ湖-インドと中東・ヨーロッパへの道

モンゴルから西南に進むと、天山山脈の東端部に出るだろう。天山山脈の東部で山脈が途切れている箇所にウルムチ(烏魯木斉)があるが、ウルムチの東にボゴダ峰(5445m博格達峰)があり、その北西に天池(天山天池;約5平方キロ、海抜約2000m)がある。チャンバイ(長白)山などとの比較から、天山=白山で、「バイ」は「天」を意味していたと思う。そうすると、バイカル湖は、「天の海」などの意味であったであろう。天池は、ミニバイカルかも知れない。なお、博格達の読みは、白頭の読みと似ていたかも知れない。本来、長白山は長白山脈を表し、その東北部の主峰が白頭峰(白頭山)であったと思われる。カルデラ湖である白頭山天池(長白山天池;約9平方キロ)からは、天山天池と同様、北へと流れ出す。

東西にパミール高原まで延びる天山山脈も、白虎であったかも知れない。天山山脈に沿った道は、中央アジア南部やインドへの道である。天山山脈の南に沿ってパミール高原の手前まで進み、カラコルム山脈の峠を越えればパキスタン領カシミールのフンザ渓谷を経てインダス川流域に入ることができる。ウルムチからイスラマバードまでの距離は、北京までの距離より小さい。

著名な日本語学者である大野晋氏が、かなり前から、日本語とドラビダ語(インダス文明の言語で現在のタミール語など)との間の単語の類似性について指摘されている。また、韓国でも韓国語とドラビダ語との間の単語の類似性が指摘されている。一旦、カシミール地方や、インダス-ガンジス平原の縁に進出した後、戻って来たと考えると説明がつきそうである。シベリアのヤクート族の伝承によると、ライオンが住む暖かい地方から移って来たとしている。なお、漢字に象(ゾウ)の部首が入ったものが多いが、黄河流域に象が住んでいたとは思えない。紅山文化の出土品に漢字に類似の文字が現れているものがあるが、漢字の一部は、インドから戻って来た集団が、麦とともに伝えたのかも知れない。インドには、1万年前に、文字があり、小麦が栽培されていたとされている。

なお、韓国のソウルは、新羅のソラブルとの語に由来するとされるが、インドのデカン高原にはソラープル(solapur)という地名がある。「ソラ」は英語のsolarに対応し、「ブル」は、韓国語の「ボル」(とりで、牙城)、フランス語のブール及びドイツ語のブルク(いずれも城)に対応するのかも知れない。一方、製鉄の技術は、インドから、スキタイを通じてヒッタイトに伝えられたと考えられているが、古代朝鮮帝国の製鉄技術はインドから来たものであろうか?製鉄は木炭で行われていたため、炭焼きの技術が製鉄の技術の重要な部分である。中国では、長江流域以南の南方と、北方とで炭焼き窯の形式が異なり、北方窯は、韓国・朝鮮から日本まで同一である。古代長江文明では独自に製鉄技術を生み出したのであろう。

一方、ウルムチから天山山脈の北沿いに進むと、カザフスタンの東南部に至る。ここにはバルハシ湖があり、その西岸に「ブルバイタル」がある。「バイタル」は、コリア民族の名称の「倍達」であると思われ、天に向かった丘・岸などの意味ではなかろうか。バルハシ湖には、天山山脈のハン・テングリ山(7000m; Mt. Khan Tengri)から北へとイリ川が流れ込む。モンゴル中心部のハンガイ山脈からバイカル湖へと川が流れるのと似ている。このあたりからウズベキスタンまで、現在は草原と砂漠が広がるが、現在より地球が温暖であった6千年前には、農耕地が広がっていたと考えられている。中央アジアの伝承に、「魚を求める者は東へ行き、肉を求める者は残った」というのがあるらしい。地球寒冷化に伴って中央アジアが乾燥すると、一部は東へ進んだのであろう。朝鮮帝国の建国神話(檀君神話)に虎が登場するが、西へ行った部族が東に移って来たことを表すのかも知れない。中央アジアの南西部の砂漠の名称カラクムは「黒い砂」を意味するが、カラス(烏)は「黒い鳥」の意味である。

7.八咫烏(三足烏)と他の動物神

八咫烏は、京都の下鴨神社、八坂神社、熊野神社などの祭神であり、高句麗のシンボルでもあった。太陽の黒点と関連して、太陽を象徴するというのには、間違いがないだろう。では、なぜ、3本足なのか、また、なぜ、細身に描かれることが多いのか?八咫烏も、バイカル湖の形になっていると考えると説明がつきそうである。バイカル湖には、セレンゲ川、アンガラ川及びレナ川の3つの大河が絡んでいる。地上のバイカル湖と対をなすものが太陽にあると考えたとすると、地上の四神に対応する、天上の四神があったのかも知れない。また、昼天の四神と、夜空の四神とがいたとするなら、干支(えと)のように12の動物神がいたのかも知れない。

そうすると、これらの中には、檀君神話の熊や、秦氏の稲荷神社の狐(きつね)、さらには、鹿、狼(おおかみ)などのバイカル湖畔にいた動物が含まれるのだろう。ブリャートの神話に、白馬と白鳥が合体した天馬が出てくるそうであるが、これも天上の四神であったかも知れない。カザフ族の神話では、檀君神話の熊が鷺(さぎ)になっているので、鷺も含まれていたかも知れない。

8.女神崇拝と性器崇拝

紅山文化には、女神の裸体像を祭る女神廟の遺跡が見つかっているが、下鴨神社内の河合(かわい)神社の祭神は、八咫烏とともに、玉依姫(たまよりひめ)である。日本の神話には、イザナギとイザナミによる「国生み」や、下鴨神社の「矢」による懐妊など、女神と、男女の結合によるものが多い。また、日本では、玄武を雄雌の結合としており、カメが雌、ヘビが雄であろうと考えている(http://www.kyotoliving.co.jp/article/121215/last/)。亀は横から見ると割れ目で上から見ると楕円の盛り上がりである。亀が女陰を表し、蛇は男根を表すのであろう。また、朱雀(鶏)は小陰唇を開いた女陰を、白虎及び青龍が男根を表すのかも知れない。西安近郊の朱雀森林公園にある朱雀崖もそのような意味であったのかも知れない。性器崇拝は、明治以前の日本で、かなりあったのであろう(http://www.globalpost.com/dispatch/japan/100315/japan-penis-japanese-vaginashttp://naranokoto.seesaa.net/article/214988068.html)。

9.「太極」方式による民族統一

コリア民族は、馬に乗って弓を射ながら、ユーラシア大陸を縦横無尽に移動しつつ、多くの民族や文化と結合していったと思われる。現在、南北を隔てる障害は大きい。しかし、必ずや、太極マークの赤色部分と青色部分とが組み合わさるように、再結合されるであろう。

現実的な南北統一は、中国と香港との間のような「一国家二制度」による統一である。そして、陽の中に陰があり、陰の中に陽があるように、北の制度と南の制度が組み合わさることができるのではないか。北朝鮮の中に、完全に自由貿易とする経済特区と、中国と同様の市場経済化を行う経済開放区が広がるなら、現在の中国と台湾との関係以上に人と資本の行き来ができるであろう。一方、農村の過疎化と低賃金非正規労働者の問題を抱える韓国に、北朝鮮式の有機農業や農畜産物の加工を行う非市場主義福祉区が大規模に創設されれば、より安心な生活を送れ、出生率が回復するかも知れない。

先進国になった韓国の他の大きな問題点は、国防、食料及びエネルギーを全て、米国に支配されるか、米国とその追随国家に依存していることである。誤解をおそれずいうならば、民族統一とは、これらを全て北朝鮮に頼ることで、民族の単位での自主権を回復することである。

現実的な民族統一の展望をもつ上で最大の障害は、冷戦時代の「北傀」認識の持続であると思われる。北の一人当たりGDPがベトナムより低いとするのがその典型である。約25年前のミリタリーバランス誌によると、北の一人当たりGDPは約2千ドルであった。インフレ率を勘案すると現在では約4千ドルである。現在、食料及びエネルギーの完全自給を達成し、25年前の水準を上回っているのは明らかである。なお、北は、民生部門よりも軍事・軍需部門がはるかに大きいという意味で特異な国家である。米国CIAの2009年統計では、北の一人当たりGDPをベトナムより高い1300ドルとしているが、これは、民生部門に限った統計ではないかと思う。なお、人口が南の半分以下の北は、農地面積が南よりはるかに広く、ジャガイモ中心なら、いずれ1500万トンの食糧生産、すなわち北の需要の2倍の生産が可能になるであろう。

モンゴルでは、走る自動車の大部分が韓国製であり、人気ドラマは韓国ドラマである。しかし、修学旅行先が北朝鮮であり、北朝鮮にはノービザ入国を認めている。モンゴルから見れば、違った見方ができるのかも知れない。■

筆:夫世進(コリアNGOセンター理事)

*本稿は、在日コリアンである夫世進の独自の論説(original article)であり、2013年10月発行の「京都大学コリア同窓会便り」に掲載されたものである。

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