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朝鮮人強制連行、日本軍「慰安婦」の史実を刻んだ説明板  市民の声を無視し、天理市が撤去

「国が歴史を決めること」と歴史の隠ぺいに開き直り

天理慰霊碑 アジア太平洋戦争末期、奈良県内天理市に建設された旧海軍の飛行場建設工事で強制連行されたに朝鮮人男性、日本軍「慰安婦」とされた朝鮮人女性の歴史を後世に伝えるため天理市と教育委員会により設けられた説明板が突如撤去された。今年4月18日のことだ。「汚辱の歴史」とか「歴史的に確認できない」などの主旨のメールが数件天理市に送られたことが契機で、「説明板が市の公式見解ではない」として撤去した。奈良県内の市民団体などが「歴史の隠ぺいだ」と抗議するとともに、説明板があった市内の市立公園に原状回復することを訴え広く市民運動を展開しており、8月7日には歴史の真実を明らかにする集会を企画している。地方自治体が朝鮮人の強制連行された歴史の説明板を設けた事例は日本では数件しかない。特に日本軍「慰安婦」の歴史を書き留めた説明板は天理市だけだった。1995年に設置されてから全国各地から、さらに韓国からも現地を訪れ、地元の歴史家が説明にあたり、植民地支配の歴史の直視する大きな役割をはたしてきた。

飛行場建設は旧海軍大和海軍航空隊の基地として大阪海軍施設部が大林組に受注させて1943年9月から工事に入ったもので、日本の敗戦直前に1500メートルの滑走路など完成させた。飛行場の正式名は大和海軍航空隊大和基地だが、一般には所在地の地名から柳本飛行場と呼ばれている。建設工事は学徒動員や地元からの勤労奉仕のほか、労働力不足を補うため朝鮮人男性を強制連行したほか、慶尚南道から朝鮮人女性を連行して、海軍管理区域内に設けられた「慰安所」に閉じこめて「性奴隷」といっていい状態においた。逃走することもできず、敗戦まで「慰安所」におかれ、戦後は朝鮮人男性が連行した、国、企業が担当して大阪から列者で下関まで送り返されたのに対して、女性たちはその場に放置された。日本軍「慰安所」では軍「慰安所」と企業「慰安所」に2分されるが、柳本飛行場のケースは企業「慰安所」の性格が強い。海軍の命令により行なわれ実地主体はあくまでも軍であるが、企業の建設遂行のために設けた「慰安所」とられる。軍が管理責任をもつとともに、企業側が関与していないとは言い切れない。ただし文献資料は一切なく、「慰安所」を利用したり存在を知る被強制連行者5人の証言だけがたしかな「証拠」といえる。

女性たちは約20人ほどで、軍事用のメチルアルコールなどを飲んで飢えをしのぐ極限状態にあった。このことを知った近隣に住む(桜井市)朝鮮人男性が彼女らを救いだし自ら住む集落で約1年間ほど保護した。うち1人は病死したが、救出した男性が彼女の故郷である慶尚南道統営(トンヨン)に遺骨をもって送り届けた。「統営」」の名前は筆者(川瀬)が直接救出の朝鮮人男性からインタビューしたときには(1970年代前半)「トヨン」と書き留めたが、最近の歴史で「統営」が日本軍「慰安婦」された被疑者が最も多かった事実が明らかになり、昨年4月6日には碑が建立された(「統営聨合ニュース」2013年4月7日)、慶尚南道に「トヨン」の地名はなく、インタビューから40年をへて亡くなった女性の出身地が「統営」とみていいだろう。強制連行された朝鮮人男性が何人かは一切判明していない。敗戦直後に関係書類が焼却されたからだ。しかし連行された男性2人が忠清南道論山に住んでいることがわかり1992年秋に天理市に招待し証言集会を開いたほか、韓国政府の強制連行被害者調査からさらに4人の被害者が生存していることがわかり、韓国で韓国側の協力により4人が住む自宅で聞き取り調査を行い、栁本飛行場の強制連行の歴史をより詳しく解明することができた。文献がほとんど焼却されているなか、地道な聞き取り(オーラルヒストリー)を重ねて歴史の空白を埋めてきた。

これらの調査の積み重ねの成果が95年設置の説明板に反映したもので、植民地支配の歴史や人権学習の場として何百団体がこの間、訪問してきた。また奈良県内の中、高校の教育現場でも地元で起きた歴史として教員や生徒・学習に活用されてきた。飛行場用地跡西側の市立公園の一角に設けられた説明板は、80センチ四方の小さなものだが、その役割は大きなものとして受け継がれてきた。

今回の撤去について天理市は、「様々な歴史認識があり『強制性』を含め市の見解とと解されるのは適当ではない」と、「強制性」を否定し、「歴史の国の研究・検証を見守りたい」と回答した(7月9日)。地元でおこった歴史的事実を「市の見解として適当ではない」と隠ぺいするに及んだ背景は何か。決定的な影響を及ぼしたのは、2007年の第1次安倍内閣の時に、「強制連行を直接示すような記述が見当たらない」とする、野党質問主意書に対する答弁書を閣議決定した「強制連行」の事実を無視する政権の方針が大きい。戦前の侵略の事実や戦争犯罪の事実を隠ぺいする歴史修正主義はこれに勢いづいてきたことで、地方自治体が応じる状況が生まれることだ。

さらに「国の研究を待って歴史を検証したい」という態度は、国家主義による歴史研究が第1だとするファシズム的要因が日本ではすでに跋扈していることを示している。指摘できることは、国が採用する歴史観により地元で起こった事実さえも否定される状況に直面していることだ。「国が歴史を決めること」とでも読み取れる天理市の回答は図らずも国家主義が強まる現代の状況を語っている。筆者も含め原状回復を目指す運動は、この時代に抗する幅広い民衆運動を粘り強く進めることに加えて、東アジアの民衆ともに歴史的な真実を解明していくことも課題だ。この運動には日本の50近い賛同団体や民族問題研究所をはじめ韓国の19の団体が賛同して支援している。

川瀬俊治 ジャーナリスト

(コリアNGOセンター ニュースレターVol.37より)

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