東北アジアの市民交流を進める歴史と教育のマダン

四神の地と太極(陰陽まがたま・ともえ)

四神の地と太極(陰陽まがたま・ともえ)

【要点】 京都を四神(玄武、白虎、青龍、朱雀)相応の地といい、この四神が高句麗壁画などに描かれている。本来の四神の地は、モンゴル高原であり、玄武はバイカル湖であろう。 バイカル湖沿いのブリャート自治共和国(ロシア)は、北方モンゴロイドの発祥 …

第12回(最終回):植民地支配を批判した日本の知識人たち

第12回(最終回):植民地支配を批判した日本の知識人たち

【写真と資料で振り返る日本と朝鮮半島の近代史】 朝鮮植民地支配の中にあって、反差別・反植民地主義の思想を持ち続けた日本の知識人たちを点描します。そして、過去の歴史に真摯に向き合う若い世代の存在が、東アジアの和解と平和にとって希望であることを …

第11回:日韓条約から在日の権益擁護の闘いへ

第11回:日韓条約から在日の権益擁護の闘いへ

【写真と資料で振り返る日本と朝鮮半島の近代史】 1965年に日韓条約は調印されますが、植民地支配の真の清算はなされず、在日社会に法的にも南北分断がもちこまれます。日本社会の高度経済成長のなかで、在日コリアンは人権と生活の保障を求めて、就職差 …

第10回:祖国分断と在日の暮らし

第10回:祖国分断と在日の暮らし

【写真と資料で振り返る日本と朝鮮半島の近代史】 朝鮮は祖国解放もつかの間、戦後の東西冷戦の渦中に巻き込まれ、南北の分断が固定化されていきます。祖国の分断の固定化と日本政府・GHQの反共政策の中で、在日コリアンの民族教育は弾圧される一方で、在 …

民族史の疑問と再検討-2千里なのに3千里?-

民族史の疑問と再検討-2千里なのに3千里?-

1.400年前まで3千里 1.1 明の時代を描いた古地図 白頭山(長白山)から南端の海岸線までの距離は、約800km、すなわち約2千里である。残りの千里はどこへいったのか?私の長年の疑問は、大阪大学 付属図書館のウェブサイトで公表されている …

第9回:戦時下の苦痛(3)と祖国の解放

第9回:戦時下の苦痛(3)と祖国の解放

【写真と資料で振り返る日本と朝鮮半島の近代史】 日本は朝鮮の人々を大日本帝国天皇に忠実な「皇国臣民」にするための思想・文化の強要を行います。東方遥拝の強制や朝鮮神宮への参拝などを強制します。しかしついに1945年8月15日、朝鮮は植民地支配 …

第8回:戦時下の苦痛(2)

第8回:戦時下の苦痛(2)

【写真と資料で振り返る日本と朝鮮半島の近代史】 日本の中国侵略戦争の深化にともない日本国内に徴用された朝鮮人には、過酷な暴力と虐待が日常的に行われた。長野県にある松代大本営地下壕は、その典型例です。また日本軍の「慰安婦」として、たくさんの若 …

第7回:1930年代の朝鮮民衆の抵抗と戦時下の苦痛(1)

第7回:1930年代の朝鮮民衆の抵抗と戦時下の苦痛(1)

【写真と資料で振り返る日本と朝鮮半島の近代史】 日本が朝鮮半島を足場に中国・アジア侵略を本格化する1930年代。 ベルリンオリンピックのマラソンで優勝した孫基楨による日章旗抹消事件や尹奉吉による義烈闘争が起こります。一方で、米・金属類の供出 …