東北アジアの市民交流を進める歴史と教育のマダン

日本、在日、韓国の市民らが協働で真の和解に向けて

北海道に残されていた朝鮮人徴用者の遺骨115体分が9月20日、故国に設けられた追悼施設に安置されました。
この遺骨は日本政府が把握する1014体分の一部にあたり、遺族の引き取りが決まったり、保管している寺院との合意が成立して返還が実現したものです。

2004年に盧武鉉韓国大統領が小泉純一郎首相に要請し、日本に残る朝鮮人元軍人軍属の遺骨について返還合意が成立しました。数度に分け約400体の返還が実現しましたが、その後返還作業は滞り、また急激な日韓関係の悪化で遺骨問題は現在頓挫しています。さらに元軍人軍属については一義的な責任を認めた日本政府でしたが、民間企業が徴用し、日本で犠牲になった遺骨については日本政府は関与を拒んでいます。そのため朝鮮人徴用者の遺骨問題については宙に浮いたままとなっています。歳月だけが過ぎ、もはや遺族調査も難しくなるなか、保管している施設においても扱いに困るなど、もはや放置できない問題となっています。
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今回、韓国に返還された遺骨は北海道内の4ヶ所の寺院で保管されていたもの。うち十数体は戦時下で動員された朝鮮人徴用者の実態調査に取り組んできた市民団体が埋葬先から発掘したものです。水力発電用に進められた朱鞠内の人造湖の建設現場には戦時中、のべ4000人にのぼる朝鮮人徴用者が動員されていたことがわかっています。冬場にはマイナス40℃にもおよぶ過酷な工場現場で、事故や病気などの理由で死亡にいたり、亡くなると集落の共同墓地の奥の笹薮に埋葬したと地元民の証言や文献から明らかとなりました。1980年代から4回にわたりこの地で発掘調査が行われています。この取り組みを40年間進めてきた北海道深川市の浄土真宗本願寺派一乗寺の殿平善彦住職は、「物言わぬ遺骨が語る歴史から得るべき未来への問いかけ」があると語ります。
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今回、かつて徴用された道をさかのぼる10日間の行程をかけ韓国に遺骨が戻りました。途中、北海道、東京、京都、大阪、広島、下関で法要が営まれました。9月15日の大阪法要は浄土真宗本願寺派津村別院で行われ、浄土真宗本願寺派の僧侶らによる読経に加え、韓国仏教や韓国キリスト教、韓国の民衆信仰である圓仏教の祈りも行われました。また、遺族を代表して全行程をともにした金敬洙さんが挨拶、「時期は遅れたものの、私たちのもとに戻ってこれるようになったのは、この問題に取り組んできた日本の市民団体のおかげで、心から感謝している」と述べました。今回の遺骨返還は、日韓両政府の関与はまったくありませんでした。そのことをどのように評価するか、人によって別れるところでしょう。一方、最初から最後まで心ある日韓在日の市民が自分たちの力で連携し、協働し、進めた意味や意義は決して小さくありません。硬直化する日韓の外交関係をよそに市民が真の和解に向けて取り組むことは、日韓をはじめ日本とアジアのあらたな展望を切り開くものです。市民であるがゆえに、国益の壁を乗り越え、ナショナリズムを批判し、被害と加害の現実から出発し、歴史の教訓から未来を創造していけると信じます。

大阪法要事務局 コリアNGOセンター 金光敏

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