東北アジアの市民交流を進める歴史と教育のマダン

豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、朝鮮に帰化した日本人武将「沙也可(さやか)」(金忠善(キムチュンソン))を通じて日韓交流と地域活性化を図ろうと、和歌山市の市民団体「雑賀衆・沙也可で街おこしの会」(辻健会長)は、同市と沙也可とのかかわりを記したマップ作りなどに取り組んでいる。

 辻会長は「沙也可に興味を持つ韓国や日本の観光客に手にしてほしい」と期待している。

作家の神坂次郎さんは、戦国時代に現在の和歌山市などを拠点とした雑賀衆を率いた雑賀孫市の息子、孫一郎を沙也可としている。加藤清正らと朝鮮に攻め入ったが投降、帰化したという。

辻会長は昨年5月、同会を設立。紀州東照宮に設置された顕彰碑や一族の墓がある蓮乗寺などを、日本語とハングルの説明文とともに記載した「沙也可ゆかりの地マップ」を作成した。1万部作成し、2000部を韓国・大邱に送る。

また、孫市が平井城を構えた和歌山市平井の平井中央公園に「沙也可生誕地」の説明板を設置したり、ゆかりの地を巡るバスツアーを企画したりしている。

辻会長は「日韓関係は揺れているが、沙也可を通じた民間交流は続けていきたい」と話している。

(2012年10月28日付け 読売新聞の報道から)

 

 

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